
花崗岩の鳥居の向こうには松林を背景に朱の楼門が鮮やかに映え、荘厳な雰囲気を漂わしています。
楼門をくぐると右手階段の上の小高いところに「神の宮」があり、こちらには須佐之男命(すさのおのみこと)が鎮座しています。
出雲の国造りをした須佐之男命が根の国(黄泉国)より、「吾が神魂はこの柏葉の止まる所に住まん」と柏の葉を投げて占ったところ、柏葉は風に舞いこの神社背後の「隠ヶ丘」に止まったということです。
その後須佐之男命の五世の孫、天葺根命(あめのふきねのみこと)がこの地に須佐之男命を奉斎したといわれています。
日御碕神社は島根半島の西端に位置し、『出雲国風土記』に「美佐伎社」と記される古社です。 神社は下の宮「日沈宮(ひしずみのみや)」と上の宮「神の宮」という上下二社からなり、両本社を総称して『日御碕神社』と呼びます。
須佐之男命が祀られる「神の宮」
天照大神が祀られる「日沈宮」
そして楼門から正面には下の宮「日沈宮(ひしずみのみや)」があります。
こちらは神話の中で須佐之男命の姉とされる天照大神(あまてらすおおみかみ)が祀られています。
この「日沈宮」は【伊勢大神宮は日の本の昼の守り、出雲の日御碕清江の浜に日沈宮を建て日の本の夜を守らん】 (伊勢神宮が「日の本の昼を守る」のに対し、日御碕神社は「日の本の夜を守る」) との神勅により祀ったのが始まりと言われています。
当初はこの言葉通り、この場所から程近い海岸(清江の浜)の経島(ふみしま)で天照大御神を奉斎していましたが、その後天葺根命が経島にいかれた時、天照大神が降臨し「我天下の蒼生(国民)を恵まむ、汝速かに我を祀れ」との神勅があり、現在の地に大御神を祭られたということです。
神話に出てくる二人の神様が鎮座される、厄除けや縁結びをご利益とした霊験あらたかな神社です。
夜を司る美しい朱の社殿
現在の建物は江戸幕府3代将軍徳川家光の命により、松江藩主京極忠高が1634年(寛永11年)に着手し、1644年に松平直政が完成させました。
壁や木の切り口は白色で、柱や横木が丹塗(にぬ)りされた社殿は桃山時代の面影を残し、二つの本殿どちらも拝殿と本殿が続く権現造りです。
上の宮(本殿・幣殿・拝殿・玉垣・宝庫・鳥居2基)と、下の宮(本殿・幣殿・拝殿・玉垣・禊所・廻廊・楼門・客人社2棟)からなり、これら社殿の全てと境内の石造建造物も含め、貴重な神社建築として全て国の重要文化財に指定されています。
両本殿内陣の内壁や天井には、狩野派や土佐派の絵師による密画が描かれ、本殿【蛙股(かえるまた)】(上を支えるための蛙の股のような建築部材)を中心とする彫刻は、竜虎をはじめ鶴亀や松竹梅、そして日光東照宮のように「見ざる、言わざる、聞かざる」の猿をかたどった見事な彫刻が施されています。

日御碕灯台へ続くドライブウェイの途中、緑の山あいから神社全体を俯瞰する事ができますが、すぐ側にある日本海の青と松林の緑を背景に「朱の神殿」は鮮やかさを際立たせ、その姿はさながら竜宮城のような佇まいです。


天照大神が現在の日御碕神社に祀られる前に鎮座されていたという経島(ふみしま)は、日御碕の西方約100メートル沖の日本海上にあり、面積約3000平方メートルの無人島です。
柱状節理の石英角斑岩からなっており、その形状が「経典」を積み重ねたように見えるためその名が付いたと伝えられています。
またウミネコの繁殖地としても有名で、国の天然記念物に指定されています。毎年11月下旬から冬にかけて約5000羽ものウミネコが飛来し、4月から5月にかけて産卵・孵化、ひなの成長をまって7月頃に島を飛び立っていきます。
飛来するウミネコの群れ
神域と呼ぶにふさわしい空間
この島は日御碕神社の神域として神職以外の一般の立入りは禁止されており、年に一度8月7日の例祭の時のみ、宮司だけがその島に舟で渡ることができます。
別名夕日の祭りといわれ、天と地と海が織り成す壮大な経島の夕景はまさに神ご降臨といった雰囲気に満ち、刻一刻日が沈む中で執り行われる様子は神々しさが漂います。
例祭
グラスボートから見る日御碕灯台
経島は日御碕遊歩道上からも眺められますが、8月に周航するグラスボートもおすすめです。船の中から経島をはじめとする変化に富んだ海岸線や、透明度の高い美しい海底の様子を見ることが出来ます。

| 名称 | 日御碕神社(特集記事) |
|---|---|
| カテゴリ | 歴史・文化 神社仏閣 |
| 住所 | 島根県出雲市大社町日御碕455 |
| 問い合わせ電話番号 | 0853-54-5261 |
| 駐車場 | 有り 20台 |
| 交通アクセス | 山陰道 宍道ICから35km 約50分 JR出雲駅からバスで45分、出雲大社からバスで20分 |